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  • 性に奔放で恋愛依存体質になる背景

    性に奔放で恋愛依存体質になる背景

    これは私の持論なんだけれど、

    性に奔放な女性、初恋が早くて、男性関係が早かった人の中には、

    SEXが大好きなわけではない人も、たくさんいるのではないか?という考えがあります。

    何かの星占いの講座に出た時に、私の星の配置は、 SEXが好きなタイプと言われ、

    それは外れているな、と思ったことがあります。

    西洋占星術の第一人者と言われる松村潔先生の著書を読んだ時、

    この星の配置は、好きなタイプと淡白なタイプと極端に分かれると記述してあるのをみて、

    「やっぱりそうだよな。」

    と安心しました。

    正直、私はそういった行為はあまり好きではありません。

    けれど、求められれば応じていた時期があったのも事実です。

    そんな時は、感情に蓋をして、何も感じないようにしながら、

    我慢するような感覚で。

    もうすぐ5歳になる娘のことなのです。

    平均的な子供よりも、甘えん坊なタイプの子供だと思っています。

    それと、肌と肌の触れ合いが、彼女にとってはとっても大事で、

    眠る時は、足か手のどこかが必ず私の体のどこかに触れています。

    幼稚園に行く前なども、おんぶか抱っこの時間が必ず必要です。

    悲しいことがあった時は、必ず抱っこをして気持ちを落ち着かせています。

    いつでもどこでも、場所を考えずにベタベタするのは、控えさせていますが、

    家の中では、できるだけ応じるようにしています。

    この方針の理由には、自分の体験が元になっています。

    私はとても甘えるのが苦手な子供でした。

    元からそういう性格だったのもあるかもしれません。

    本当のことはわからないけれど、「抱っこ」の時間はとても少なかったように思います。

    少なくとも、母と私の時間の中で体験したスキンシップの量では、私の心は満足しませんでした。

    父親は私が生まれる前から海外に単身赴任していたので、抱っこされることなく育ちました。

    一緒に生活するようになった時には、もう生理がきていたし、

    比較的家で同じ時間を過ごすようになった頃には、もう大学生になっていましたから、

    父親とのスキンシップは、皆無だったように思います。

    さらに、時代背景の影響もあったようです。

    私が幼児だった時代の母子手帳には、

    「抱き癖」が付かないように注意する記述が載っていました。

    子どもを簡単に抱いてはいけないというのです。

    母は、子育てに全力を注いでいたので、

    母子手帳の教えをしっかり守ろうとしたはずです。

    だから、スキンシップを取らないようにしたのも、母だけのせいではないということは分かったのですが、

    時代背景や母親の性格がどうとか、そういうことは

    子供の頃の私には関係のないこと。

    理由はどうであれ、絶対的に人の温もりを感じる経験が足りないという事実が出来上がりました。

    私は、娘を育てる経験を通して、「子供というのは、こんなに肌の温もりを求めるのだな。」

    ということを学びました。

    理屈なしに、温かさを感じることが、心が健全に健康的に育つために必要です。

    父親にも、甘えたい時にたくさん甘えられることが、

    情緒の安定にもつながります。

    自分に娘には、恋愛で、空虚さを埋めるための手段として、

    安易に男性に体を許すようなことは避けて欲しいと、心から思います。

    性的な関係を持つ意味を、私は全くわからないまま経験をしました。

    不快な時間を過ごすけれど、一人の人に必要とされているような感覚になれるので、応じることを続けました。

    だから、本当に相手を愛していて、つながりたいという思いから、

    そうした行為をしたわけではありません。

    やはりここでも、空虚感や報われなかった思いを埋めるために取る行動は、

    幸福とは違う結果をもたらすのだという結論に至ります。

    ここで思い出すのが、ハーローのアカゲザルの実験です。

    ハリー・ハーロー(Harry Harlow, 1905-1981)は、愛着の重要性を実験的に検証しようとしました。
    アカゲザルと二つの母親の人形を使った、よく知られた実験です。

    ハーローは生まれたばかりのアカゲザルの子どもを母親から引き離し、二種類の母親代わりの人形で育てました。

    ひとつは針金でできたお母さん人形で、もうひとつは温かい 布のお母さん人形です。針金のお母さんには哺乳瓶が取り付けられています。

    それまでの心理学では、子どもは栄養を与えてくれる存在に愛着を示すと考えられてきました。


    ところがアカゲザルの子どもたちは、明らかに布のお母さんを好んだのです。

    小ザルはおなかがすくと針金のお母さんからミルクを飲みますが、すぐに布のお母さんのところ にいくのです。

    音の出るびっくりするようなおもちゃを飼育小屋に入れるたときも、小ザルは怖がって布のお母さんにしがみつきます。

    ハーローはこうした実験から、愛着はミルクだけで生まれるのではなく、「接触の快適さがなににもまして重要だ」つまりスキンシップによって形成されるのだと考えました。

    スキンシップによって安心感を得ることができた小猿は、新しい環境や対象を探索することにもチャレンジします。

    ハーローは布の代理母によって正常な愛着が得られると考えたのですが、実際にはアカゲザルは、成長とともに自分を傷つけたり、仲間とつきあえ ないといったさまざまな問題を見せました。

    ごく常識的に考えれば、動きもしないしなんの反応もない代理母だけで育てられたのですから、他のサルと関係を持つのが難しい のも無理はありません。

    ハーローのこの実験はアカゲザルにひどいことをしたという批判も大きく、アメリカで動物実験の際の倫理規定が定められるきっかけともなったよう です。
    心は実験できるか―20世紀心理学実験物語』(ローレン・スレイター著、紀伊國屋書店)

    これは、猿の実験ですが、

    愛着の形成には、スキンシップが必要だということを教えてくれています。

    皮膚から、温もりを感じることなしに、

    人は、健全なコミュニケーションを取れなくなります。

    だから、子どもを、たっぷり抱きしめてほしい。

    うまく言葉がかけられなくても、

    優しく抱きしめることはできるはず。

    人は、育つ過程で、環境などが原因になり、経験できなかったプロセスは

    本能的に、それに代わるものを求め続けるように、できているのだと思います。

    「人の温もり」を感じる経験が足りなかった人は、

    漠然とそうした愛を求め続けるようになる。

    その結果として、初恋が早かったり、

    小学生のうちから、異性との距離を縮めすぎてしまったりするようになる。

    「ませている子」「擦れている子」「育ちが悪い子」「いやらしい子」

    いくらでも悪いレッテルをつけられそうな行動に出る可能性が高くなります。

    「問題行動」と思われるものの本質が「愛されたいだけ」の行為だという視点を、

    周りの大人はどれだけ持てるでしょうか。

    そのまま大人になった女性は

    自分を大切にして、男性との関係が築けない可能性も高くなります。

    大人になれば、自分の本質に気づき、自分で自分をたくさん大切にしてあげることで、

    その埋められなかった空虚さを埋めることができます。

    刹那的な男女の関係ではなく、

    本当のパートナーシップを結びたいのであれば、

    自分の寂しさを見つめていくプロセスが必要です。

    「多くの人が寂しさを満たせるようになれたらいいな。」

    「たくさんの子供たちがいっぱい抱っこされて、

    人の温かさを体験できたらいいな。」

    心から、そう願います。

  • 心の穴を埋めるためにする恋愛は修羅場と化す

    心の穴を埋めるためにする恋愛は修羅場と化す

    思えば小学生の頃から、私の報われない愛のパターンは出来上がっていた気がします。

    それは、お世話した相手を、好きなのかな?と感じ始めるパターン。

    小学生の頃、しっかり者と担任から思われることが多かった私の周りには、忘れ物が多かったり、片付けや支度に時間がかかったり、勉強に手助けが多い子が、隣の席や後ろの席に配置されることが多くありました。

    毎日一生懸命、手助けしていると、その子に対して恋愛感情があるのではないか?という感覚がやってくることがありました。

    世話をした労力の分、見返りが欲しかったのかもしれないし、

    自分の頑張りが、何らかの形で認められてほしいという思いからだったように思います。

    いくつか報われない恋愛を経験しているのですが、

    その一つには、世話をする、ケアする=恋愛と感じるパターンがありました。

    この錯覚のような感覚の恋愛パターンは、大人になっても続いていて、

    相手を助けることで、自分の力が証明されるのではという思いや

    この人を支えて変えることができれば、自分の価値が認められる

    他の人にはできなくても私にだったらこの人を変えられるはずという、支配欲

    に発展していきました。

    そのような、歪んだ恋愛の形を求める根っこには何があるのか。

    掘り下げていくと、

    やはり母との関係性の影響が大きいように感じます。

    母の私への愛情の形に

    私(母)が全力で娘にエネルギーを注いだのだから、娘(翠玻)は、その分期待通りに育ってほしい

    という思いがありました。

    母は意識的に支配しようと考えていたかというと、違うと思うのですが、

    支配すること(されること)=愛 

    だと私は学習していきました。

    本当は、あるがままの私を愛してくれる人が欲しい。

    ダメでも、頑張らなくても、優秀でなくても、いい子でなくても

    愛されたい。

    これが私の願いです。

    これが欲しくて欲しくて、たまらなくて、何をしてでも愛を掴みたくて、

    底なしブラックホールのような寂しさや所在なさを常に感じながら

    大人になりました。

    それなのに、学んでいるのは条件付きの愛し方のみ。

    「いい子じゃなくても、頑張らなくても好きって言ってー」

    と心の底では相手に求めながら、

    私の愛し方は、

    「あなたがいい子になるために、改心できるように手伝ってあげるね。だから見返りちょうだい!」

    というもの。

    こんなの、ちゃんと愛されるわけないんです。

    そして、私のブラックホールはさらに大きくなっていくし、

    相手は変わることを常に要求される者だから、

    支配されている不快感から逃れるために、バイオレンスになっていく。。。。

    ある時期のお付き合いでは、

    相手から殴られる、蹴られる、包丁を向けられるという修羅場を経験。

    相手が蹴ってきた時に、足をつかんでひっくり返し、その表紙に彼が頭を壁に打ちつけて、

    軽い脳震盪になったことも。

    その隙に、外へ逃げ出し、ガソリンスタンドに逃げ込んで、助けてもらったことがあります。

    この状態から、どうやって別れたのか、距離を置くことができるようになったのか、

    はっきりとした記憶がありません。

    その当時、私にとって仕事がとても大事なものだったから、

    彼とのお付き合いによって、仕事に穴を開けそうになった時、別れる覚悟を決めました。

    彼よりも、仕事の方が大事だった。

    それに、頑張らない彼、真っ当ではない彼を好きだったかというと、

    違う気がしています。

    仲間内から、注目を浴びていた彼と仲良くなれれば、

    仲間から、私も同じように大事にされるのではないか。

    仲間と認めてもらえるのではないか。

    今までの彼女を殴る蹴るという関係しか作れなかった彼が、

    私と付き合うことで、暴力がなくなったとなれば

    私がすごいと認めてもらえるのではないか。

    そういった、ものすごい支配的な思いから、彼との距離を縮めていった私。

    その原動力は、

    無条件に愛されたい、

    大事にされたい

    寂しさを消し去りたい

    そういう小さな頃からの愛を求める底なし沼的愛情不足。

    心の穴を埋めるためにする恋愛は修羅場と化す

    ↑これ、リアルです。体験済みです。

    ここまでどん底を経験すると、

    「自分のこと、好きになれないけど、

    幸せな生活を諦めてきたけど、

    もう自分を罰するようなことは、やめてみようかな。」

    そんな思いが湧いてきたのを覚えています。

    そこからは、いい子にならなくても、

    一緒にいて楽しいと思える人と出会う。

    この人とだったら、自分の子どもを楽しく育てていけると確信できる人とお付き合いをする。

    こういったことを目標にしていきました。

    相手に尽くすことに疲れた方、

    バイオレンスな関係を続けていて卒業したい方。

    違う世界に引っ越すことはできます。

    今も、寂しかった頃の私の声が、聞こえてくることはあります。

    小さな頃の出来事を思い出させるような現象が起こった時、

    底なしの寂しさを思い出してしまう瞬間があります。

    「幸せになっていいんだよ。」

    そんな声をかけることで、新しい生き方を続けることができる気がしています。

  • あの人と繋がりを取り戻す道

    あの人と繋がりを取り戻す道

    コネクション・プラクティスとは

    コネクション・プラクティスとは、ラスールファンデーション・インターナショナルの登録商標です。このラスール・ファンデーション・インターナショナルは、米国の非営利団体で、「すべての人々がつながりのスキルを実践し、この贈り物を手渡していく世界」という目標を実現している団体です。

    短くいうと、「平和的なコミュニケーションスキルを学ぶ場」というところでしょうか。

    このコースのパート1、パート2に参加してきました。

    パート1で学んだ感想は、いつもやってきたコミュニケーションの方法と全く違うぞ!ということが実感できたけど、やり方が一度習っただけでは分からない。というもの。

    うん10年も、今までのやり方で人と関わってきたのだから、それをすっかり変えていくというのは、なかなか難しい。

    私の先生、しまいゆみこ先生は、「これは脳トレよ。」と言っていました。

    毎日積み重ねていかないと、効果は実感できないものかもしれませんね。

    やるかやらないかと言ったら、絶対にやったほうがいい。

    実践できるならしたほうがいいに決まっている!という感じです。

    なぜなら、心のざわざわは平和になるし、誰かを攻撃したい気持ちも収まるから。

    こらが、自分に標準装備されたら、いつも心の中は平和だし、人を避ける必要もなくなります。

    腹が立つこと、憤ること、悲しみに押しつぶされること、それ自体がなくなるわけではありません。

    そんな感情との向き合い方、対処の仕方を学んでいくというのがコネクション・プラクティス、略してコネプラの魅力だと感じています。

    コネクション・プラクティスの味噌

    以下に載せるのは、私のまとめなので、教則の内容とは違います。

    1. 感情に名前をつける
    2. その裏にある本当の願いに気づき、共感する
    3. 思考を働かせずに、ハートに注目して深呼吸する。

    例えば、家族三人で外食をした時、娘があまり食べない時がありました。

    どうして食べれなかったの?お腹いっぱいになっちゃった?と後で聞いたところ、

    「パパとママがたくさん話してて、話したいことあったのに話せなかった。」

    と言いました。そこで、

    「話せなくて、悲しかったの?」と感情に名前をつけて返事をしました。

    すると、娘は涙を浮かべて、うなづきました。

    「それは辛かったね。はあちゃんも、話を聞いてもらいたかったよね。いつでもどこでも、話したい時は話していいんだよ。」

    と伝えました。

    ここで、深呼吸を一緒にすればよかったのですが、この時は、その会話だけで、娘は落ち着いたので、会話を終わりにして、自分のやりたいことをしに行きました。

    自分の居場所がないと感じると、食欲にまで影響するんだな、と実感した会話でした。

    小さい子(4歳)なりに、「会話の邪魔をしたら悪いな」と遠慮したり、輪に含まれていないという疎外感を感じたりするのだなと、改めて再確認。

    気をつけて行きたいなと思うと同時に、このようなことがあるたびに、彼女の気持ちに寄り添い、また、娘が打ち明けてくれた時の分かり合えたという私の喜びの感情を伝えて行きたいなと思いました。

    このように、子供との会話でも、感情に名前をつけて本当はどうだったらよかったかな、というように、その気持ちになった背景にある本当の願いに目を向けていくと、子供情緒が落ち着いてくることが何度もありました。

    まだコネプラを習得できていない私の実戦でも、利点があると感じているので、コネクション・プラクティスを今後も意識してコミュニケーションを取っていきたいと思っています。

    コネクション・プラクティス パート2

    つながりの道

    パート2を終えた今、パート1を振り返ってみると、パート1は、コネクション・プラクティスってどんなもの?という紹介のコースだったように思います。

    ここでいう、「つながり」とは、今まで分断されたと自分で思い込んでいる相手とのつながりを取り戻すということです。

    私の場合、思いつく相手が自分の弟でした。どうしても、弟との関係を、今回の学びの中で向き合う必要があると感じたからです。

    弟との関係となると、インナーチャイルドが関わってくる関係になるので、向き合う過程で、トラウマ、心の傷に触れることになります。

    そのため、つながりを取り戻す学びの中で、目を逸らしていた心の傷にがっつりと目を向けることになり、人前で号泣しながら、学びを終えることになりました。

    そして、結果、繋がれたかというと、、、、

    自分でも思ってもいなかった本心が吹き出して、驚愕して終了。というのが正直なところ。

    つながりの道を取り戻すプロセスは、主に以下の3つ。

    1. 自己共感
    2. 他者共感
    3. 自分と相手の正直さを統合して表現する

    私の場合、まず1の自己共感でかなり躓き、最後まで到達するのにものすごく時間がかかってしまいました。

    癖として、先に相手に共感しようとするので、自分の感情に蓋をして鍵を閉めて、諦めなさいと宥めることばかりを繰り返してきたようです。

    自分の感情に正直になるって、私にとっては難しいこと。

    だいぶ洗い出したはずなのに、まだ足りないんです。

    無気力な時、どうせ自分なんてという漠然とした想いがある時、自分の価値を信じられない時、そこには、溜め込んでいた感情と、諦めていた願いが横たわっているに違いありません。

    最後に

    コネクション・プラクティスは宗教っぽいという投稿を目にすることがありました。実際学んでみると、怪しさは感じませんでした。どちらかというと、科学に基づいたものです。

    そして、少し習っただけで、なかなか実践するのは難しいものでもあります。

    こういった考え方があるんだな、と知るだけでも心が軽くなる人もいるはず。

    今後も、実践をしながら、レポートをして行きたいなと思います。

    私の心の中も、世界も、平和なものになりますように。