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  • 無意識に溜め込んでいた「怒り」の正体

    無意識に溜め込んでいた「怒り」の正体

    先日、プラクティショナーとしてオーラソーマという自分で治るセラピーの勉強会に参加したきた。

    講座開始の前に、カラーボトル(イクイリブリアムボトル)を4本選ぶことになっている。

    2日目も、静かな気持ちで4本を選んだ。

    2本目に赤いろが入ったボトルを選択。

    55番 キリスト

    しかも上層ではなく下層に。

    一番向き合うべき色が赤ということ。

    赤は、怒り、愛、拒絶、サバイバル、物欲、物質、現実、お金、エネルギーなどの意味がある。

    私が、蓋をして、追いやっているものがこの、赤色のテーマということ。

    何に私は怒っているのだろう?

    と考えてみた。

    今、特に悲しいことも、ショックなことも、自覚していなかった。

    それはそうだよね。

    下層なんだから。

    下層は潜在意識を表しているから。

    無意識で、超怒っている!ということがここで判明。

    端的にいうと、こんな人生真っ平ごめんだ!

    と言っているんだよな。と思う。

    こんな世の中は嫌なんだと、私は心の底から叫んでいた。

    自由のない世界は嫌だ。

    マスクをし続ける世界なんか嫌だ。

    子供が苦しいと言っているのに、なぜマスクをしなくてはいけないんだ。

    店や、公共施設がお願いしますというのなら、

    こちらもつけたくないんです、お願いします。と言ってもいいはず。

    マスクをすると頭が痛くなる。

    大体、コロナを防ぐ力はないのだよマスクには。

    馬鹿馬鹿しい。

    ウイルスの大きさと、マスクの穴を比べてごらんなさいよ。

    マスクの穴が大きくて、完全に通過しちゃうから。

    馬鹿らしくて、付き合っていられないよ。

    等々、、、、言い出したらキリがないほど、世の中に怒っていたことに気がついた。

    赤は、行動のエネルギー。

    怒りを燃料にして、私は進んでいくしかありません。

    戦うことはしない。

    NOという気持ちは示したいと思う。

    だから、できるだけ、マスクを外す生活を始めています。

    けれど、一緒にいる人が、マスクを私がしないことで、

    とても不安になっっている時は別。

    不安の原因もさまざまで、コロナを撒き散らす非常識な人といると、自分が感染するかもしれないという不安もあれば、

    マスクを信じている人たちに、

    叱られたり、注意されたりしないかと、ハラハラしている場合もある。

    けれど、幼稚園のお迎えでは、どこまでつけるべきか考えてしまう。

    こどものマスクを外したいのであれば、

    大人も外すべきなんじゃないだろうか?

    幼稚園の3年間。

    娘は、先生の顔を見ることなく卒園することになるのだろうか。

    幸い、強制しない幼稚園だから救われて言えるけど、

    顔を見て、笑顔を見て、先生との思い出を作ってほしいなと思っている。

    「今この瞬間」に怒っているなら、

    自分で、楽園を作るしかないのだから、

    私にできることをするしかないんだよね。

    同じ思いの人が増えることを祈ります。

  • 「自分を演じるとき」人は疲弊する

    「自分を演じるとき」人は疲弊する

    先日、1泊2日でオーラソーマの研修を受た。

    HSPの気質がある私は泊まりがけの活動をすると、その時は楽しく過ごせても、帰宅後体が動かなくなることが多い。

    にもかかわらず、今回は寝込むことなく過ごせている。

    それはどうしてだろう?と考えてみた。

    「ああそうか。自分が自分のままでいられたからだ。」

    いつもは、お邪魔させていただいた場所のオーナーだったり、

    その場にいる人が何を自分に求めているのか、探りながら過ごしていたことに気づく。

    夫婦で一緒の場合は、

    夫と仲良しだと思われるにはどう行動すると良いか。

    良い妻に見られるにはどう行動すると良いか。

    良い母に見られるにはどう振る舞うと良いか。

    幸せで何も問題ない人としてみられるにはどうしたら良いか。

    あげたらキリがない。

    相手に合わせて、自分を作ろうしていれば、疲弊せるのは当然のこと。

    等身大の自分でいることが、

    ありのままの自分でいることが、自然のこと。

    ありのままの自分を否定されるのが怖い、

    ただの自分なんて、ダメに決まっているから不安になる。

    だから身を守るために、私はいろいろなものを身につけて、

    相手に合わせた自分になろうとして、

    無理をしていたのだと思う。

    それって、何が起きても大丈夫なように、

    備えて身構えているということだから、

    チグハくな印象を周囲の人に与えることにはないだろうか?

    雪が降ってもいいように、毛糸の帽子を被る。

    急に暑くなった時のために、ノースリーブのシャツを着て、

    身動き取りやすいようにズボンを履き、

    可愛く見えるようにスカートも重ね着する。

    周りの誰かに合わせた自分を作ろうとすると、こんなファッションになってしまう。

    正直いうと、こんな格好の人には近づきにくいかも。

    このファッションをしている当人も、暑苦しいし、居心地悪い。

    疲弊するの、当たり前だよね。

    誰かのためではなく、今ここにいる自分でいることに努めた方が

    ずっと気持ちいい。

    私は私。

    他の誰かになることはできない。

    平均的な私でいる必要もない。

    個性的なあなたや私がいるから、世の中は循環し、美しいものになるんです。

  • 「あなたのためなのよ」は誰のため?

    親や教師、年上の友達、誰かに「あなたのために言っているのよ。」と言われて、もやもやしたことはありませんか?

    私はあります。

    あのとき、なんであんなに真綿でぎゅっと締め付けられるような気持ちになったのだろう?と考えてみました。

    私はモノトーンの洋服をよく着ていました。その時、友人は、

    「色を使った服装を着た方がいい。あなたのために言っている。」

    と言いました。

    それを聞いた時、私の体は緊張し、とても居心地が悪く感じました。耳を塞ぎたくなりました。

    なぜかというと、ゆったりとした落ち着いた色の洋服を着ることで、気楽さやくつろぎを得ることができていたから。

    大切なことは、選択の自由があることです。そして、意図を理解してもらいたかったのでしょう。モノトーンでゆったりとした洋服を着ることに対して、私には理由がありました。

    そして、「自立する」ということもとても大切でした。

    「介入された」と感じたことが緊張につながったのでしょう。

    実際に介入されたのか?というと私には、

    「モノトーンのほうが気持ちが落ち着くの。」

    「オーラソーマでコンサルテーションをするときは、色が干渉し合わないように、白を着たり、TPOを考えて洋服を選びたいから、心配しなくても大丈夫。」

    そんなふうに、応えることができたはずです。

    「介入された!」「相手はコントロールしようとしている!」

    私の中で、サイレンが鳴りました。過剰反応です。

    過剰反応の元は、子ども時代の私。

    小学校を卒業する頃まで、私には、洋服の選択権はありませんでした。

    母が気にいる洋服を着続けていたし、髪型も母の好きな髪型にするしかなかった。

    母の元にいたとき、わたしは自立した存在ではなかったし、自由に生き方を選ぶ選択権を持っていない子どもでした。

    友人から言葉を投げかけられたとき、同じようなエネルギーを感じた気がしています。

    ひょっとしたら、彼女はそんなつもりはなく、本当に私のために言ったのかもしれない。

    けれど私はとにかく同じように感じました。

    できれば、本当に私のためを思うなら、

    「どうしてモノトーンの服ばかり着るの?男の子のようなファッションが多いよね。」と、聞いてもらいたかった。

    その上で、提案してもらえれば私も聞く耳と応える余地が見出せたと思います。

    これは、あなたのためを思っていっているのだけど、という言葉は、「私のアドバイスを聞いた方がいい」というメッセージに伝わりがちです。

    この出来事で学んだのは、私にとって、

    気楽さ、自由であること、自立した存在でいることがとても大切なんだなということに気づけたこと。

    そういう世界を、私は作って行きたいです。