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  • 「心配したよ」「ありがとう」受け取ってみよう

    「心配したよ」「ありがとう」受け取ってみよう

    今日も新しい1日がやってきましたね。


    先日、ふとこんなことを考える機会が。

    「心配しているよ。」とか

    「気になってるよ。」など、

    相手が大丈夫か、声をかけること、ない?

    それに対して、

    「大丈夫だから気にしないで。」

    という言葉が返ってくることがある。



    これを聞いたとき、がっかりしたり悲しくなったりしたことが、
    私はあります。



    「心配したよ。」

    「心配してくれたのね。ありがとう。
     (大事に思ってくれた気持ちを受け取って)
     あの時は驚いたけど、元気になったよ。」

    と、伝えたら相手と自分の感情はどう動くだろう。


    声をかけた方は、安心や、その相手とのつながりが満たされると思う。


    けど、なかなかこのまま受け取れないことがよくある。


    それはどうしてかな。


    心配をかけた相手に申し訳ないと、思ったからかもしれない。

    心配をされると、力のない存在だと思われたかもしれないと思って居心地が悪くなるのかもしれない。


    「心配しないで、大丈夫だから。」

    と受け取れなかった人にも、思いやりや、尊厳など、大事なものがあったからだと思う。


    ここで、ふと考える。

    「心配する」

    「心配される」

    って悪いことなのかな。


    私たちの意識の中に、

    人から関心を向けられることや、

    あなたの行いで、こんなふうに感情が揺れたよと、

    伝えられることに、

    居心地の悪さを感じる部分があるのかもしれない。



    感情を向けられる、伝えられることは、

    よく感じてみると、

    エネルギーの交流なんじゃないかな。


    受け取りたくないものは、

    もちろん受け取らなくていい。


    怒りや、悲しみ、

    どんな感情でも、受け取りたくなければ、
    「ごめんね、受け取れない」という拒否するのはもちろんできる。



    だとしても、こういう可能性はないかな。

    心配は、愛情につながる感情だから、

    受け取れないとしたら、『愛情』を受け取ることが苦手な私が

    隠れているかもしれないということ。



    「心配したよ。」

    「ありがとう。私のこと、大切に思ってくれたんだね。
     嬉しいよ。」

    そんなやりとりが、軽やかにできる世界になったら、

    どんなに幸せだろう。



    世界の中心は”わたし”

    わたしは、素直にやりとりができる世界で

    生活したいな。と改めて思った昨日でした。


  • 楽しい!大好き!それでいい!

    楽しい!大好き!それでいい!

    幼少期の習い事。
    私の場合は、ピアノとバレエ。
    私より上手な子は、いっぱいいた。
    特に、バレエは、私よりバレエが好きだと思って取り組んでいる子がたくさんいた感じた記憶がある。

    私が、私のペースで続けていたら、
    もっと上手にピアノが弾けるようになっていたかもしれない。
    プロや音大に行かなくても、
    日常生活をより楽しめるような技術は身についただろう。

    子どもの頃の私は、ものすごく努力しないと上手な子に追いつかないことに気づいてしまい、練習が嫌いになった。

    絵を描くこと、
    運動すること、
    身長、
    勉強の出来、
    顔の可愛さ。
    髪の毛の綺麗さ。
    おしゃれかどうか。。。。

    全て、本当に比べたら上には上がいるし、
    あの子より、私は才能がないからと辞めてしまったら、
    人生を楽しむアイテムが減ってしまうことになる。

    上手かどうかは本当に、どうでも良い。
    才能があるかどうかも、その時点では判断できない。
    そして、才能があるかどうかという視点は、素晴らしい有名人になれるかどうかという意識がその裏にはある。

    それは本当にどうでもよくて、
    「自分が好きかどうか」がとっても大切なこと。

    人はどうであれ、
    自分が好きだったら、楽しめばいいの。

    上手かどうかとか、学校で評価されるように、
    自分がワクワクする出来事をジャッジ、評価することはない。

    好きなことを、続けていると
    もっと上手になりたくて、
    大変だな、辛いな、と思うこともあると思う。

    そこから、もっとやるかどうかも、
    「人よりも上手じゃないから続けても、仕方がない」
    というのではなくて

    できるようになるまで、大変だけど、好きだったら
    続けられる。

    「好きなことでは、食べていけない。」
    「そんなこと、意味ないからやめなよ。」

    そういう言葉を聞いたとしても、
    受け取る必要はないのだと思う。

    自分が好きは、自分にしかわからない。
    この人生を楽しむ方向に進めたかったら、

    自分の好きを、1番大切にしよう。

    今この瞬間から、「好きを大事にします」と宣言して
    人が決めた物差しは受け入れませんと、心で決めよう。

    そうすると、「好き」を楽しめるタイムラインが始まると感じています。

    今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

    いいな。と感じた方は、ご登録していただけると嬉しいです。


  • ストレスがそもそもなければ良いんだよ

    ストレスがそもそもなければ良いんだよ

    コネクション・プラクティスという、コミュニケーションスキルを学んだ。
    今も心の支えだし、日常的に伝っている。

    特に良いのが、ハートマス研究所が研究している心臓と脳の仕組み。
    心拍変動を、呼吸を整え一定にすることで、心臓と脳が同期し、コヒーランスという、脳がベストコンディションになる状態に導くことができる。
    呼吸を整えながら、イメージの力を使うのが鍵。

    「幸せだな。ありがたいなあ。」と感謝の気持ちが自然と湧き起こる情景を思い浮かべれば良いのだ。

    しばらく、取り組んでいたのだけれど、最近、どうしても頭によぎることがある。

    呼吸をしながら、私は旅行で見た【富良野の花畑】を思い出していた。

    「そもそも、この花畑で生活したら、いっつもコヒーランスになるのではないか?」と。

    脳の中で、トリップするよりも、実際にその環境で生活すればいい。

    毎日、自然や手にしている豊かである環境に対して、「ありがたいなあ。幸せだなあ。」と感じられていれば、わざわざ、コヒーランスタイムを設けて、取り組まなくても良いのではないかと思っている。

    ストレスフルな、環境で生活しているその根本を、改善する方向に、意識を変えていくのが手っ取り早いし、現実的。

    現実を、変えないで、脳の中だけで、ありがたいなあ、という感謝の光景を思い浮かべているのは、ナンセンスではないかと思うんだ。

    「満員電車が辛いので、コヒーランスで乗り切りました。」

    満員電車に乗らない生活に少しずつ移行していけばいい。

    「共働きで、子どもを早くから預けなければいけなくて、時間がなくイライラします。朝、1分でもコヒーランスの時間を取るようにしています。」

    本当に共働きが必要?都会に住むことが絶対?
    夫婦で限界までローンを組む選択肢は、本当に幸せなこと?
    見方を変えれば、現実が変わって、豊かさへの意識も変わっていく。

    ここではないどこかの、楽園をイメージして、心を落ち着かせるなら、私は今ここが、楽園だと感謝して、いつもどこでも心を穏やかにしていきたい。

    どんなに心穏やかに、ゆったり生活をしていても、驚くことや、悲しい気持ちになること、怒りを覚える出来事は起こるだろう。

    その時は、呼吸を整え、今のある豊かさに意識を向けて、感謝の気持ちを自然に思い出したい。

    今日も楽しい日だ!