月: 2023年9月

  • 時計を見て動く?体内時計の声をきく?

    時計を見て動く?体内時計の声をきく?

    来る4月。娘が小学校に上がる。

    「時計」が読めたら、生活が楽かなと思い、少しずつ教えるようになった。

    時計は便利だけれど、それによって、生活が管理される娘を見るようになったらと想像すると、なんだか残念な、悲しいような気持ちがうっすらと湧いてくる。

    眠りたい時に寝て、起きたい時に起きる。

    お腹が空いたら食べる。

    自由に過ごしている娘のままでいてほしいと感じることも。

    体調によって、起きる時間が変わることはあると思う。

    仕事に行く緊張感から、毎朝5時に目が覚めることは、本当に体にとって、良いことなのだろうか。

    いつも同じに目が覚める方が体調が良い人もいれば、

    その日の活動量に合わせて、早く眠くなったり、まだ眠くならなかったりと、変動する方が自然体の人もいるだろう。

    7時だから、12時だから、19時だからご飯を食べると決まっているのは、もしかしたら変なことなのかもしれない。

    時間ありきで、体内時計に調子を何も聞いていないとしたら、
    体は喜ぶだろうか。

    「12時だ」
    「ランチだ」
    「今の私はどのくらいお腹空いているかな。」

    と、いったん自分と相談してはどうだろう。

    体調によっては、いつもより食べたいときも、食べれないときもある。

    12時に食べたくなる日も、

    11時に食べたくなる日も、本当はあるよね。

    与えられた量を、食べなければならないと決められるのも、ナンセンスな話。

    「12時だ」
    「ランチだ」
    「食べなければ。」
    「1食分のカロリーは500Kcal。お残しなし。」

    となると、自分の感覚よりも時計や、計算機を優先していることになってしまう。

    なんか変だよね。

    よく考えるとそれってとっても変。

    自分の感覚より、時計を優先して
    自分のお腹の空腹度よりも、作った人の気持ちを考えて、
    残さず全部食べなきゃいけない。

    それって本当に変。

    私たちは、

    効率と、みんなという多数大勢の目や意見を尊重しなければいけない生活になってから、

    自分の感覚をとことん手放す、習慣が身についている。

    それって、世界の中心は自分ではなく、自分以外の何かということになってしまうよ。

    よし。明日、娘に時計の本当の使い方を教えよう。

    皆さんも、自分の体の声を聞いて、

    大事に大事にしてくださいね。

    時計に動かされる前に、

    体内時計、体の感覚の声を、聞いてみよう。

    私も、やってみます。

    最後まで読んでくださってありがとうございます。

    今日も素敵な1日をお過ごしください。



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  • 「心配したよ」「ありがとう」受け取ってみよう

    「心配したよ」「ありがとう」受け取ってみよう

    今日も新しい1日がやってきましたね。


    先日、ふとこんなことを考える機会が。

    「心配しているよ。」とか

    「気になってるよ。」など、

    相手が大丈夫か、声をかけること、ない?

    それに対して、

    「大丈夫だから気にしないで。」

    という言葉が返ってくることがある。



    これを聞いたとき、がっかりしたり悲しくなったりしたことが、
    私はあります。



    「心配したよ。」

    「心配してくれたのね。ありがとう。
     (大事に思ってくれた気持ちを受け取って)
     あの時は驚いたけど、元気になったよ。」

    と、伝えたら相手と自分の感情はどう動くだろう。


    声をかけた方は、安心や、その相手とのつながりが満たされると思う。


    けど、なかなかこのまま受け取れないことがよくある。


    それはどうしてかな。


    心配をかけた相手に申し訳ないと、思ったからかもしれない。

    心配をされると、力のない存在だと思われたかもしれないと思って居心地が悪くなるのかもしれない。


    「心配しないで、大丈夫だから。」

    と受け取れなかった人にも、思いやりや、尊厳など、大事なものがあったからだと思う。


    ここで、ふと考える。

    「心配する」

    「心配される」

    って悪いことなのかな。


    私たちの意識の中に、

    人から関心を向けられることや、

    あなたの行いで、こんなふうに感情が揺れたよと、

    伝えられることに、

    居心地の悪さを感じる部分があるのかもしれない。



    感情を向けられる、伝えられることは、

    よく感じてみると、

    エネルギーの交流なんじゃないかな。


    受け取りたくないものは、

    もちろん受け取らなくていい。


    怒りや、悲しみ、

    どんな感情でも、受け取りたくなければ、
    「ごめんね、受け取れない」という拒否するのはもちろんできる。



    だとしても、こういう可能性はないかな。

    心配は、愛情につながる感情だから、

    受け取れないとしたら、『愛情』を受け取ることが苦手な私が

    隠れているかもしれないということ。



    「心配したよ。」

    「ありがとう。私のこと、大切に思ってくれたんだね。
     嬉しいよ。」

    そんなやりとりが、軽やかにできる世界になったら、

    どんなに幸せだろう。



    世界の中心は”わたし”

    わたしは、素直にやりとりができる世界で

    生活したいな。と改めて思った昨日でした。


  • 楽しい!大好き!それでいい!

    楽しい!大好き!それでいい!

    幼少期の習い事。
    私の場合は、ピアノとバレエ。
    私より上手な子は、いっぱいいた。
    特に、バレエは、私よりバレエが好きだと思って取り組んでいる子がたくさんいた感じた記憶がある。

    私が、私のペースで続けていたら、
    もっと上手にピアノが弾けるようになっていたかもしれない。
    プロや音大に行かなくても、
    日常生活をより楽しめるような技術は身についただろう。

    子どもの頃の私は、ものすごく努力しないと上手な子に追いつかないことに気づいてしまい、練習が嫌いになった。

    絵を描くこと、
    運動すること、
    身長、
    勉強の出来、
    顔の可愛さ。
    髪の毛の綺麗さ。
    おしゃれかどうか。。。。

    全て、本当に比べたら上には上がいるし、
    あの子より、私は才能がないからと辞めてしまったら、
    人生を楽しむアイテムが減ってしまうことになる。

    上手かどうかは本当に、どうでも良い。
    才能があるかどうかも、その時点では判断できない。
    そして、才能があるかどうかという視点は、素晴らしい有名人になれるかどうかという意識がその裏にはある。

    それは本当にどうでもよくて、
    「自分が好きかどうか」がとっても大切なこと。

    人はどうであれ、
    自分が好きだったら、楽しめばいいの。

    上手かどうかとか、学校で評価されるように、
    自分がワクワクする出来事をジャッジ、評価することはない。

    好きなことを、続けていると
    もっと上手になりたくて、
    大変だな、辛いな、と思うこともあると思う。

    そこから、もっとやるかどうかも、
    「人よりも上手じゃないから続けても、仕方がない」
    というのではなくて

    できるようになるまで、大変だけど、好きだったら
    続けられる。

    「好きなことでは、食べていけない。」
    「そんなこと、意味ないからやめなよ。」

    そういう言葉を聞いたとしても、
    受け取る必要はないのだと思う。

    自分が好きは、自分にしかわからない。
    この人生を楽しむ方向に進めたかったら、

    自分の好きを、1番大切にしよう。

    今この瞬間から、「好きを大事にします」と宣言して
    人が決めた物差しは受け入れませんと、心で決めよう。

    そうすると、「好き」を楽しめるタイムラインが始まると感じています。

    今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

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