今日も新しい1日がやってきましたね。
先日、ふとこんなことを考える機会が。
「心配しているよ。」とか
「気になってるよ。」など、
相手が大丈夫か、声をかけること、ない?
それに対して、
「大丈夫だから気にしないで。」
という言葉が返ってくることがある。
これを聞いたとき、がっかりしたり悲しくなったりしたことが、
私はあります。
「心配したよ。」
「心配してくれたのね。ありがとう。
(大事に思ってくれた気持ちを受け取って)
あの時は驚いたけど、元気になったよ。」
と、伝えたら相手と自分の感情はどう動くだろう。
声をかけた方は、安心や、その相手とのつながりが満たされると思う。
けど、なかなかこのまま受け取れないことがよくある。
それはどうしてかな。
心配をかけた相手に申し訳ないと、思ったからかもしれない。
心配をされると、力のない存在だと思われたかもしれないと思って居心地が悪くなるのかもしれない。
「心配しないで、大丈夫だから。」
と受け取れなかった人にも、思いやりや、尊厳など、大事なものがあったからだと思う。
ここで、ふと考える。
「心配する」
「心配される」
って悪いことなのかな。
私たちの意識の中に、
人から関心を向けられることや、
あなたの行いで、こんなふうに感情が揺れたよと、
伝えられることに、
居心地の悪さを感じる部分があるのかもしれない。
感情を向けられる、伝えられることは、
よく感じてみると、
エネルギーの交流なんじゃないかな。
受け取りたくないものは、
もちろん受け取らなくていい。
怒りや、悲しみ、
どんな感情でも、受け取りたくなければ、
「ごめんね、受け取れない」という拒否するのはもちろんできる。
だとしても、こういう可能性はないかな。
心配は、愛情につながる感情だから、
受け取れないとしたら、『愛情』を受け取ることが苦手な私が
隠れているかもしれないということ。
「心配したよ。」
「ありがとう。私のこと、大切に思ってくれたんだね。
嬉しいよ。」
そんなやりとりが、軽やかにできる世界になったら、
どんなに幸せだろう。
世界の中心は”わたし”
わたしは、素直にやりとりができる世界で
生活したいな。と改めて思った昨日でした。
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